私たちが行くべき道
私が登山をするようになったのは、子供の影響です。
私が若いころ、職場の登山と釣りが趣味の先輩に釣りを教えてもらい、渓流を何時間も遡っていました。その当時の私にとって、登山はただ疲れるだけというイメージがありました。それよりは、自分が釣ってきたイワナやヤマメを子供達が、おいしそうに食べるのを見ているのが楽しみでした。
ある日、子供に友達から登山の記念に撮った写真が送られてきました。この写真を見て、子供が山で写真を撮りたいと言い出し、子供3人を連れて山に写真を撮りに行きました。
その後、私が子供を連れて富神山の隣の富神川で釣りをしている時に、兄弟で富神山に登って子供が登山に目覚めたようです。子供は登山にのめりこみ月山や蔵王の熊野岳や瀧山などに登りに連れて行きました。
ところで、蔵王ライザスキー場のリフトがなくなる地点から、30メートルおきに木の柱や鉄骨の柱が熊野岳の頂上まで続いているのをご存じでしょうか。夏の間は、霧が出た時に安全の目印になります。特に3月頃はまだ山は冬山でブリザード風の風速20メートルを超える風が吹くと、目の前が全く見えないホワイトアウトになります。あられが痛くて前を向いて歩くことができません。また、西の強風は自分では、真っすぐ進んでいると思っても、体が東に流されお釜に滑落してしまいます。ホワイトアウトになっても、無事に避難小屋に避難できるように、また無事に下山できるようにこの柱がたてられています。
"わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。"(ヨハネの福音書 14章6節)
山だけではなく、海でも嵐に巻き込まれると自分の位置がわからなくなります。私も、昔子供の頃、冬の青函連絡船が夜、津軽海峡を通過する際は、波が高く甲板にでられないので、船室で横になっていると船体が上がったり下がったりとても怖かった思い出があります。
"私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分たちの手で船具を投げ捨てた。"(使徒の働き 27章18~19節)
これは、イエスキリストの囚人であるパウロが、クレタ島の良き港からイタリアへ行く時にあった出来事です。まだ、この当時の船は、羅針盤などの航海道具が発明されておらず、通常は沿岸を見ながら進路を定めていました。ルネッサンスの三大発明の一つである改良された羅針盤は、航海する際に必ずなくてはならないものです。また、海図もしかりです。
自分の船が今どこを航行しているのか、自分は今どこにいるのか、自分は今、人生のどこにいるのか知ることも、とても大事なことです。
ちなみに、同じく、ルネッサンスの三大発明のグーテンベルグの活版印刷機で最初に印刷されたのが、聖書です。
"祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。”(伝道者の書 7章2節)
これは、世界でも有名な豊かな知恵のあるソロモン王が書いたものです。
蔵王でホワイトアウトしたときは、木の柱が避難小屋か麓に導いてくれます。海で位置が分からなくなったときは羅針盤が自分の位置を教えてくれます。
"あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。"(詩篇 119篇105節)
聖書は、全ての人の人生を変えることのできる、神様からの愛の手紙です。人生に迷った時、聖書のみことばが私たちの道の光となってくれます。ぜひ、聖書のみことばを読んで、神様のみもとに行き、永遠のいのちを得られる方となられますようにお勧めします。