その道で大丈夫か?
今年のゴールデンウイークの前半に、福島県の裏磐梯の秋元湖の動画を撮りにいきました。車中泊し、朝早く起きて動画を撮る予定にしていました。
しかし、あいにく、その日の夜は雨が降っており気温も下がり気温3度まで快適に眠れるはずの寝袋が、寒くて寝付けませんでした。雪は降っていなかったので、車の中の気温では大丈夫の計算でした。しばらく寝袋の中で震えながら考えているうちに、首回りから冷たい空気が入ってきて体を冷やしていることに気が付きました。ふいに、後ろの座席に青いフリースが1枚かかっているのが見えました。フリースを着て、寝袋に入ると体温が温かくなり、ようやく寝付くことができました。
このまま、気が付かずにいたら低体温症で死んでいたかもしれません。人間の体は、1枚のフリースがあるか無いかで、また、どうして寒いのか、何が原因なのかに気が付かなければ生きるか死ぬかの別れ目になることもあります。
また恥ずかしい話ですが、子供と山形県の南面白山に登った時も、山の地図を見て真っすぐピストンで降りれば良かったのですが、権現山峠を回って降りたいという声に、危ないと言えずに、思ったより危険なコースで時間がかかって暗くなりました。子供のヘッドランプ1個で降りてきたのですが、秋雨も降りだし、面白山の駅の光が見えた時は、ビバーク(山中泊)しなくてもいいと安堵しました。道を迷ってはいませんでしたが、自分の力を過信してはだめでした。
二つの経験を通して、自分では大丈夫だと考え行動したことが、後で危険だったとわかることがあります。
"人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。"(箴言 14章12節)
これは私たちの人生の歩みでも言えることです。私たちは、自分の考えが正しいと考え、この道なら安全に進めると思うかもしれません。しかし、その道は本当に安全でしょうか。
私たちは、必ず死ぬ事を知っています。しかし、死んだ後にさばきがあることは、信じられないかもしれません。
"そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように"(ヘブル人への手紙 9章27節)
すべての人間の罪は、創造主を無視した生活をしていることです。この罪を、創造主なる神様はお許しになりません。しかし、創造主なる神様は、私たち人間を救うために、救い主を与えてくださいました。
"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"(ヨハネの福音書 3章16節)
救い主イエス様は、約2000年前に十字架にかかり、私たち罪人が受けるべき神のさばきを身代わりに受け、救いを成就してくださいました。私たち罪人を許し、救いを完成してくださった救い主イエス様を信じることによって、私たちに永遠のいのちが与えられるのです。
ぜひイエス様を信じて、永遠のいのちを自分のものとして生きられますようにお勧めいたします。
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主様にあって皆様のためお祈り致します。