天国の入場券
以前、観光で大阪に行った時のことです。その日私はお城を見に行く途中だったのですが、たまたま近くの会場で人気アイドルグループのコンサートがあったようで、駅の中はお揃いのシャツやグッズを手にした女性客で混雑しておりました。会場周辺はまさにお祭り騒ぎといった具合に大変にぎわっておりました。そんな中、よく見てみると喜んでいるお客さんばかりでなく、中には涙を流して泣いている方や、「チケットを譲ってください」というプラカードを掲げている方までおりました。おそらくは大人気ゆえにチケットが手に入らず。せめてもの望みをかけて会場近くまできたのでしょう。当然皆さんコンサートを心待ちにして来ているわけですから譲ってくれる人はいないでしょう。せっかく近くまで来ても、チケットが無ければコンサートを見るばかりか、会場に入ることさえ出来ません。そう思うと、少し切ない気持ちになりました。
さて、社会ではこのように、特定の場所に入場するために定められた資格が必要になることが多々あります。コンサートや遊園地に行くにも事前にチケットを購入しなければならないのはもちろんのこと、今日では仕事場に行くにも社員証が無ければ職場に入ることすら出来ないという人もいるのではないでしょうか。これらはすなわち、その人がそこに立ち入る資格を持っているかどうかをチェックしているわけです。実は天国という場所にも、このチェックが入るのです。
"また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。" ヨハネの黙示録 20章12節
どうやら天国には「いのちの書」という書物があり、その書物を基に一人一人チェックされるようです。まさに天国への入場確認のようですね。
さて、聖書のお話をする際、多くの場合「聖書に書いてある神様は一部の人しか救わない、なんて心の狭い神様だ!」と憤る人もいるのではないでしょうか。しかし、これは大きな誤解です。神様は実は人間を愛しており、出来ればみんな救われてほしいと願われているのです。
"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。" ヨハネの福音書 3章16節
そして先ほど入場券のたとえを出しましたが、実はこの入場券は一部の人だけでなく、すべての人に用意されているのです。
"こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。" ローマ人への手紙 5章18節
"神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。" コリント人への手紙 第二 5章21節
聖書では最初の人間アダムとエバが罪を犯したため、その子孫である私たちすべての人間も罪人であると教えております。私たちはその罪の故に、天国に入る資格を持たない者でありました。この罪は非常に大きなものであって、大昔の人間は罪の赦しのために動物をいけにえとしてささげておりましたが、それを何度ささげても到底足りないものでした。
しかし今から約二千年ほど昔、イエス・キリストというお方は、私たち人間の罪の責任をすべて負い、ご自分の命をいけにえとして、私たち全人類分の罪の代価としておささげになりました。つまり、イエス・キリストは、私たち人間全員分の天国への入場券代を全て肩代わりしてくださったということなのです!
普段、私たちクリスチャンは神を信じること、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れることをお勧めしております。神を信じるということは、神様と和解するということなのです。かくいう神様ご自身がそれを望んでおられるのです。
"ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。"コリント人への手紙 第二 5章20節
私たち人類はかつて神を裏切り、天に入る資格を失ったものでありますが、人間に裏切られた神様ご自身が、天国に入るための入場券を、それも私たち全員分を用意してくださったのです。神様を信じるということは、この神様が用意してくださった入場券を受け取るということです。そして信じないということは、せっかく用意していただいた入場券を自ら捨ててしまうということなのです。中には「何で全員天国に入れてくれないんだ!」と文句を言う人々もおりますが、これを人間社会のなかで例えるならば、自分で入場券を捨てておいて、後になってから「自分も入れろ!」などと騒ぐ人のようなものです。このような人がいればたちまち警備員につまみ出されてしまうでしょう。ただつまみ出されてしまうだけならばまだよいかもしれません。
"いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。" ヨハネの黙示録 20章15節
先にも触れたとおり、私たちはやがてひとりひとりチェックが行われます。その時、いのちの書に名前が載っていない者は火の池に投げ込まれ、永遠に苦しみ続けることとなります。
天国に入るための入場券は既に全員分が用意されております。この入場券はコンサートチケットのような抽選制でも、ワクチン接種のように待っていればそのうち整理券が配布されるようなものではありません。自分から、自分の意志で受け取らなければ手に入らないものです。その受け取り方法とは、主イエス・キリストを自分自身の救い主として信じることです。そして、その受け取り期間は、今生きているこの瞬間だけです。この期間に入場券を手に出来なければ、天国に入ることは出来ません。どうか今、生きている間に、主イエス・キリストを信じて天国への入場券を手に入れてくださいますよう、お勧めいたします。